
大野孝恵さん
おおの・たかえ/帝京大学医学部准教授。1994年東京女子医科大学卒。東京大学医学部神経内科入局後、2003年に東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(医学博士)。学術振興会特別研究員、帝京大学医学部生理学講座・講師を経て現職。
研修医を経て、博士課程へ 在学中に2度出産
──博士課程在学中に第一子、第二子を出産したのですね
もともと在学中に子どもを産もうと考えていたわけではありませんが、博士課程を修了して大学のポストに就くと、出産のタイミングが難しくなるだろうと感じていました。当時、研修医は24時間業務をしているような状態だったので出産は難しく、大学院生の間が一番フレックスに対応できると考え、博士課程1年次に第一子、3年次に第二子を出産しました。医学の世界で似たキャリアを歩んでいる女性をみると大学院時代あるいは40代になってから出産するケースが多い気がします。大学院時代に出産する場合は休学する人も多いですが、私の場合は、教授の意向もあり何とか休学せずに学位を取得できました。
──出産前後はどのように過ごしたのですか
第一子のときは、まだ大学院1年目で授業も多く取る必要があり、出産当日まで研究室で実験をしており、出産も構内の大学病院で行いました。出産後は2日間入院し、5日間ほど実家で休みを取った後、研究に復帰しました。いきなり完全復帰というわけではなく、研究を午前中に行い、3時には帰宅する生活からスタートしました。出産直後は実家に里帰りし、二子とも完全母乳で育てていたので、昼は出勤前に冷凍した母乳を母にあげてもらっていました。
生後半年が過ぎたころから、世田谷区の乳幼児見守りサービス「保育ママ」の利用を始めました。保育園は全く空きがなく、一度も預けられませんでしたね。朝「保育ママ」の自宅までに自転車で子どもを送り、5時までに帰宅して子どもを迎えにいきます。お風呂にいれ、ミルクをあげ、寝かしつけた後、再び大学に戻って夜の研究会に参加していました。上の子は、とても元気がよく、一度も熱を出したことがなく、夜もすやすや寝るいい子でしたので、今考えると非常に助かりました。
きょうだいで年が近いほうが良いかなと思ったこともあり、第二子は博士課程3年目に2歳差で出産しました。その日の研究を終えて、雪の降る中、上の子をベビーカーで連れて帰っている間にお腹が痛みだして……。帰宅後、母が呼んだタクシーで産院に向かったのですが、病院に着いて分娩室に向かう最中のエレベーター内で生まれてしまいました。ありがたいことに、とても元気に生まれてきてくれました。
第一子の時も産後すぐ復帰しましたが、第二子の時は出産直後に国際学会がありました。さすがに私はいけないので、教授が代わりに出席したのですが、発表資料の打ち合わせなどを出産当日から電話で行っていました。産後1週間でまた研究に戻りました。
──出産直後に復帰して、身体はつらくなかったのですか
若かったせいか、案外大丈夫でした。ただ、産後のストレッチなどはしなかったので、下腹部が出たまま戻らなくなってしまいましたが……。
出産直後より、妊娠中のつわりの方が大変でした。つわりがある期間も電車で通学していたので、夫が出張で持って帰ってきたANAのエチケット袋を何枚も持って大学に行っていました。その期間が一番つらかったですね。
──学位を取得する上で、博士課程中に出産することへの不安はなかったのですか
今振り返ると不思議なのですが、当時は根拠のない自信がありました。所属していた研究室の教授が、研究を止めないことが重要と考える方だったのもあり、出産や子育てをしながらもなんとか続けられましたね。
仕事も続けたい、子どもも欲しいと思ったら、欲張って
──大学院修了後は、どのような生活サイクルで仕事と子育てを両立したのですか
子どもが幼稚園に通っている間は朝8時30分に子どもを送り、職場には少し遅れて出勤していました。小学校に入学後は、送り迎えがないので普通に出勤し、夜は8時ごろに帰宅していました。昼のプレゼンテーションの回数を倍にする代わりに、夜の勉強会は参加を免除してもらうなど、職場の配慮もありました。ただ、夕飯を子どもと一緒にとることは一度もできませんでしたね。
──子育てに当たり、どのような施設・サービスを利用しましたか
0歳から2歳までの「保育ママ」以外には、最寄りの駅ビル内にあった臨時の保育施設や、世田谷区のお手伝いさん派遣サービスなども利用しました。姉妹ともに2歳からは幼稚園に入園し、小学校では学童保育も利用しました。子育ての間、研究員や助教、講師、准教授などのポストでずっと大学に所属していましたが、当時は大学の子育て支援はメジャーでなく、大学の制度は全く利用しませんでした。
第二子が生まれてからは、幼稚園・保育施設への送り迎えをすることも難しい状況だったので、母と同居を始め、子どもの迎えや食事など子育てをサポートしてもらいました。子どもが1人なら何とかなったと思うのですが、2人目は正直同居していないと難しかったと思います。夫が上の子のPTA行事に参加したりすることもありました。
──子育てを振り返り、今の日本に不足していると感じる子育て支援制度やサービスなどはありますか
一つは子どもが発熱した際に、預かってもらえる施設がほとんどないことですね。私は母と同居していたので何とかなりましたが、家族のサポートがない人は、仕事を休まざるを得ないと思います。
研究職に限って言えば、研究の支援制度が若手に集中しすぎているとも感じます。私の場合は博士課程在学中と、出産・子育てのタイミングが早かったのですが、研究者の中には比較的高齢になってから出産する人もいます。40歳前後で出産し、再び研究に注力できるようになるのが45歳だとすると、すでに若手研究者支援は利用できません。
──仕事も頑張りたい、けど子どもも持ちたいと考えている読者に、メッセージをお願いします
欲張りになってください。仕事も続けたい、子どもも欲しいと思ったら、欲張って仕事も子育ても頑張ってしまえば良いと思います。意外と何とかなります。一生懸命にやっていたら、周りからヘルプももらえるので、ぜひやりたいことを続けていってください。
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