リアルにフェイクを楽しむ?映画『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』の新しさ

年始にある一本のホラー映画が話題を集めた。『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』(2025)だ。本作は豪華な俳優陣や人気ミュージシャンとのタイアップがあるわけでもないのに、公開前からネット上で拡散され、各回で満席が続いている。それほど注目されているのだからさぞかし怖い作品なのだろうと思い、ポスターやホームページを見てみる。すると「怖いJホラーに正統派後継者現る。」というキャッチコピーが付いている。でもそもそもJホラーって「怖い」映画を指すのでは?もしかしたら本作は最近のホラー映画とは次元の違う「怖さ」を持っているのかもしれない。今回は”Jホラーの新たなマイルストーン” とも称される『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』の持つ、近年のホラー映画にはあまりみられなかった「リアルなフェイク」による怖さについて考えてみたい。作り物、フェイクであるはずの恐怖を作り手がリアルに提示し、しかも観客が作り手の姿勢に便乗して、フェイクをリアルなものとして楽しむ。この記事では、近年爆発的な人気を保っているホラー番組や恋愛リアリティショーの背景にある、作り手と観客の新たな「共犯関係」を探ってみたい。

(画像は全て「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」製作委員会提供)

 映画『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』がネット上で「バズった」きっかけには、監督を務めた近藤亮太氏のXでの以下の発言がある。

「脅かし」なしのリアルな恐怖

 森の中で子供が迷っているような印象的なポスターと共に投稿されたこのポストは、100万以上のインプレッションを稼いでいる。引用ポストを覗いてみると特に最後の「ノージャンプスケア」にXユーザーは反応しているようだ。

 ジャンプスケアとは静かな場面でいきなり物音を大きくしたり、幽霊を登場させたりして観客を驚かせる演出のこと。テレビの心霊映像100連発!といった企画で目にした人も多いかもしれない。怖がらせるよりも単にびっくりさせる演出のため、Googleで「ジャンプスケア」と検索をかけると「しょうもない」とか「ホラーじゃない」といった否定的な言葉が予測変換される。

 こうした一種の陳腐化されてしまった演出を一切使わないと言うことで『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』の作り手達は、観客を本気で怖がらせてみせると宣言しているのだろう。つまり本作は嘘っぽくないリアルな恐怖を味わえる作品として注目されたのだ。

 興味深いことに近藤監督が本作より前に手掛けている作品は、「リアル」を逆手に取った「フェイク・ドキュメンタリー」ばかりだ。フェイク・ドキュメンタリーとは、フィクションをドキュメンタリーのように、つまりリアルに見せかけて演出するジャンルのことで、とりわけホラー映画やホラー番組で頻繁に用いられている。

「フェイク」と分かった上で、作り手の「リアル」に乗っかる視聴者たち

 2024年4月からテレビ東京の深夜枠で放送されたTXQ FICTION第1弾『イシナガキクエを探しています』は、1969年に失踪した女性イシナガキクエに関する情報を集める公開捜査番組という体裁をとっている。番組開始時にプロデューサーの大森時生氏が「フィクションです。」とだけ述べたように、これはもちろん全てフェイクだ。しかし番組で提示される電話番号にかけると実際に繋がるという「リアルな」仕掛けによって、視聴者による考察が出回ったり、イシナガキクエを名乗るXアカウントが生まれたりと、番組の世界が現実世界にまで足を伸ばす現象が生まれている。実際に作り手達もこの状況を「都市伝説」が発生するのと似たものとして考えている。

 こうした反響を受けて2024年の年末には、TXQ FICTION第二弾『飯沼一家に謝罪します』が制作・放映された。 監督やプロデューサーがリアルなフィクションを作ると、視聴者達もそれに乗じてリアルなフェイクを拡散・二次創作し続ける。ここには作り手と受け手の共犯関係のようなものが生まれているのではないだろうか。『イシナガキクエ』にはフリーアナウンサーの安東弘樹やラランドのサーヤといった人気タレントが出演しており、少しでも見れば誰もがこれはフィクションであると気づくはずだ。だからといって視聴者はただの作り物として見るのではなく、番組が用意した「上手なフェイク」に乗っかり、自分たち自身で「新たなフェイク」を作ってしまう。

 こうした現象は、例えば恋愛リアリティ番組が大きな人気を集めている状況にも似ているかもしれない。もちろんカメラが四六時中密着しているような状況において、被写体が100%リアルな恋愛をしているとは考えづらい。けれども視聴者はそれをただの「やらせ」として跳ね除けるのではなく、あくまでもリアルなものとして受け取り、番組参加者の些細な言動に腹を立てたり、カップルの成立に感動したりする。おそらく視聴者は、作品をただ受動的に楽しんでいるわけではない。むしろフェイクな作品をあえてリアルなものと認識することで楽しむという能動的な鑑賞態度が、フェイクドキュメンタリーやリアリティ番組の人気の源泉にあるはずだ。

Ⓒ2024「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」製作委員会

 では『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』はいかなるフェイクを作っているのだろうか。

 かつて山奥の廃墟で弟の日向が失踪した過去を持つ兒玉敬太は、母親から日向が失踪する瞬間が映ったビデオテープが送られてきたことをきっかけに、同居人の天野司や新聞記者の久住美琴と共に再び因縁の山へと足を踏み入れていく。

語られる怪談を聞くうちに「フェイクなリアル」の共犯者に

 あらすじを聞くとよくあるホラー映画のような気もするが、実際に作品を見てみると今まで味わったことのない怖さをはっきりと体感できる。特に新鮮に感じるのは「怖い話」を聞く時間の長さだ。兒玉、天野、久住、さらに山の麓の旅館の息子、石森雪斗が、それぞれ自分が体験した怪異について話す場面がある。この時ありがちな回想シーンなどは一切なく、画面の中で一人の人物が自分の身にあった怖い話を延々と語る演出がとられている。

 映画としては若干地味に思われるかもしれないが、同時に丁寧に映画の世界へと没入させられるような印象も受ける。これらの場面では作り手が用意した「作り話」=「フェイク」が、登場人物の語りによって1から本当らしく作り上げられていく。特に映画の後半で石森が山にまつわるある怪異を話す場面では、数分間一度もカットが破られず、徐々にカメラが彼に寄っていく。たっぷりとした間合いを含んだ語りとカメラワーク。こうした周到なセッティングによって、暗闇に腰を据えて映画を見ている観客は怪談に没入せざるを得なくなっていくのだ。

Ⓒ2024「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」製作委員会

 怪談話をじっと聞くことが要請されるということは、まさに観客が作り手の用意したリアルなフェイクの共犯者に仕立て上げられると言い換えられるだろう。しかし本作の見どころはそれだけでは終わらない。弟・日向が失踪した山の中の廃墟は、後に警察達が捜索しても見当たらない幻のような存在だった。そのため敬太達は弟が果たしてどこに消えたのかを長年明らかにできなかった。ところが映画のクライマックスで、ついに山奥に敬太が足を踏み入れると、廃墟が登場するのだ。今まで怪談話の中でしか存在していなかった廃墟が映画館のスクリーンに映し出され、登場人物もそこに乗り込んでいく。

 このクライマックスには、作り手達が観客との共犯関係を逆手にとってフェイクの大技を決めているような清々しさがある。テレビ番組よりも多くの予算をかけ、その気になればどんなファンタジーも登場させる映画の力を利用して、『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は「この世には実在していない廃墟」を提示してしまうからだ。しかも観客はそれまで丁寧にリアルなフェイクへと誘導されているからこそ、この壮大なフェイクすらも納得して見ることができてしまうのだ。

 リアルにフェイクを楽しむことが当たり前になった現代において、『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』はその慣習に添いながらもクライマックスで壮大にそれを裏切ってくれる。このクライマックスがどのような結末を迎えるのかはぜひ自分の目で確かめていただきたい。

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』は、各種動画配信サービスにてデジタル配信中(レンタル・購入)。

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