
鹿取みゆき
かとり・みゆき/1960年生まれ。東京大学教育学部卒。(一社)日本ワインブドウ栽培協会代表理事、フード&ワインジャーナリスト。信州大学特任教授も務める。著書は『日本ワインガイド 純国産ワイナリーと造り手たち』(虹有社)など。
「東大卒」だからこそ助けてもらえることもあった
──そもそもなぜ東大に入学したのですか
高校時代、『森の隣人』(朝日新聞社)や『ソロモンの指輪』(早川書房)を読んで、動物行動学の研究者になりたいと思っていました。高校の生物の先生に相談したところ「研究者を目指すならば東大に行った方が良い」と言われて、東大の受験を決めました。ただ、どちらかというと生物の細かい仕組みより、動物行動学や認知行動学といった分野に興味があったので、理Ⅱではなく文Ⅲを選びました。入学後に「人間も面白いかも」と思い出したのですが、父が駒場の教養の心理学の教授を務めていたので、そこにはいかず教育学部の教育心理学コースに進学しました。
大学時代は遊んでばかりでしたが、今振り返ってみると、東大で知り合った先輩、同輩、後輩に仕事の際に助けられたことが何度もあります。東大卒というだけで偏見で見られることもありましたが、逆に東大卒だということを知って、力を貸してくれる人もたくさんいました。
──学部卒業後、ソニーに入社しています
研究者の父の姿を見て、あんなに本も読めないし勉強に没頭できないと感じて、研究者を目指すのはやめました。ただ今の仕事でも、ワインブドウの栽培現場の実態を調べるために200人に調査をしたり、文献を読んで分析したりと、半分研究者っぽいことはしていますね。
初めはソニーに就職する気は全くなく、国際協力機構(JICA)やユネスコ・アジア文化センター(ACCU)に行きたいと思っていました。ACCUはその年新卒の募集がなく、色々な人に話を聞きながら就職先を探す中で、東大の教養学部からソニーに入社し、人の行動を研究する部署で働く先輩にお会いしました。生き生きとしていて、とても魅力的な女性で、彼女と一緒に仕事がしたいと思いソニーに入社しました。
──ソニーではどのような仕事を担当したのですか
入社後は、いきなり海外営業に配属されました。1年間海外営業をした後、社内募集に応募して当初から希望していた、先輩のいる部署に移りました。
海外営業の1年間は嫌でしょうがなかったですが、直接海外の担当者と英語でやり取りをしたり、在庫管理のための分析をしたりした経験は、フリーになった後、国内外での取材の際やワイン市場の分析をする上で役立っていますね。
──32歳の時に退社し、フリーでワイン関係の発信を始めています
マーケットの隙間を狙って売り込むという姿勢が、人を起点にしたモノづくりとは対極にあると感じ、自分自身が考える仕事のあり方とのズレを感じ始めました。自分は大企業は合わないのではないかと思い初め、出産を機に、一度会社を辞めてワイン関係の仕事に転職しようと思い立ちました。既にワインアドバイザーの資格も持っていたし、ワイン関係の仕事も少しずつ始めていました。
会社を辞める際に、不安が全くなかったわけではないですが、当時、日本に出回っていたワインに関する本は2次情報が多く、直接生産現場をきっちり取材している人はあまりいませんでした。今思うと、甘かったなとも思いますが、自分なりに他とは異なる切り口で書けると思い、フリーランスになる道を選びました。
──ワインのどのような部分にひかれたのですか
ワインのテイスティングをしていると、ある時突然自分の感覚が変わ時があります。大学での専門が心理学だったこともあり、自分の感覚が変わることにとても興味を持ちました。しかも線形に変化するのではなく、突然一段階変わってワインの香りが感じ取れるようになる。私は「香りをとる」というのは記憶の再認行動だと考えています。つまり自分がかつて嗅いだことのあるグレープフルーツの香りを「グレープフルーツの香り」として認識していないと、ワインから「グレープフルーツの香り」感じとることはできません。テイスティングは記憶の再認行動として面白いものだと思いました。また、元々生物好きだったこともあり、ブドウの栽培にも興味を持ちました。
──フリーになった後はどのような仕事をしてきたのですか
始めは子育てをしながら、テクニカルタームを含んだ資料を訳す翻訳の仕事をしたり、農業関連の記事を新聞に寄稿したりしていました。
ただ、いわゆるワインライターの仕事よりも、ワインの生産現場の実態を明らかにすることに興味があったので、仕事の内容も次第にそちらに移っていきました。きっかけとなったのは、2004年に雑誌『料理王国』(CUISINE KINGDOM)の別冊として企画された『日本ワイン列島』です。私は編集とライティングを担当したのですが、その中で日本のワイナリーに原料の国産比率を聞くアンケートを実施しました。
ワイン業界の諸先輩には「そんなタブーに触れたら絶対嫌われるぞ」と忠告もされましたが、日本ワインの造り手の中には「そこにメスを入れてくれるんですか?」と期待してくれる人もいました。このムック本が出た後、造り手たちとの直接の交流も増えたのですが、彼らに「初めてお金の匂いがしないジャーナリストが来た」と言われたのは嬉しかったですね。
その後、取材・執筆の仕事に加えて講演の依頼も来るようになり、現在はワインブドウ生産者を支える一般社団法人の日本ワインブドウ栽培協会(以下JVA)の代表理事も務めています。
「何かを始めるのに、遅すぎることも早すぎることもない」
──今後の仕事の展望を教えてください
日本ワインの基盤を今立て直さないと50年、100年後の未来はないと思っていますので、当面は協会の活動が一番優先です。
日本在来のワインブドウと言われている品種はないので、そもそもこれらの品種を輸入することからワイン造りは始まりました。つまり海外から輸入した植物資材(穂木、台木、接木をした苗)をもとに、苗木生産者が苗木を生産するというのが苗木生産のあるべき姿です。ところが最近では、出自を明らかにされていない苗が生産されていたり、生産者間で枝をやり取りして、ウイルスに感染しているかどうか未確認のまま、苗が生産されることが増えています。そのため、日本で栽培されているブドウの樹のウイルスへの感染率はかなり高くなってしまっています。また、今後、各地の生産者、それぞれの土地に適した品種を選べるように、多様な品種のライブラリを構築することが必要です。
──ワイン造りにそんなシステムが必要とは知りませんでした
JVAでは今、品種のライブラリーの構築とウイルスチェック済みの苗の供給体制の確立に取り組んでいます。また同時に、ウイルスチェックの体制づくりも着手しました。日本各地の生産者が、ウイルスにかかっていないさまざまな品種の苗を手に入れて、日本各地で多様な美味しいワインができるようにする、というのが目標ですね。生きている間にはできないかもしれませんが。
最近感じるのは、今の若い世代が50代以降の世代とは全く異なるものを求めているということです。格付けなど意識せず、おいしいパンやコーヒーを買うようにワインを飲む若者がいる。そういう若い人たちにも応援してもらえるような日本ワインが造れるように、支えていきたいです。
──20代の読者に向け、メッセージをおねがいします
私も大学生の頃は、こんな人生歩を歩むとは全く思っていませんでした。将来のビジョンは漠然としていて、自分はどうやって仕事をしていくんだろう、と不安に思っていました。みなさんもあまりにもボヤッとした将来に不安を感じることもあると思います。ただ、お伝えしたいのは、真剣に取り組んでいれば、今やっていることもきっとどこかで役に立ちます。よっぽどひどい職場でなければ、何年かは辞めずに続けると、いつかどこかで役に立つことがあるのです。それと、人の縁はすごく大切です。何十年も前に交流があった人に助けてもらうことは数多い。ちょっとニュアンスは違うけれど、これにつながるのは情けは人のためならず。これも今、改めて強く感じていることです。
また「何かを始めるのに、遅すぎることも早すぎることもない」ということ。私も先輩に言われたことがあるのですが……。自分はもう手遅れだとは思わずに、何かに挑戦してみようと思ったらぜひやってほしいです。
最後に、ぜひ日本ワインに関心を持ってほしいと思います。今高級ワインを飲んでる人たちって、55歳以上ばっかりで、あと20年したら年を取って、私含めどんどんお酒が飲めなくなっていく。これから産業を支えるのは若い人です。ちょっとでも興味があれば、日本各地の風土に目を向けて、日本ワインを飲んでほしいし、そしてその向こうにいるブドウを育てている人、ワインを造っている人にも関心をもってもらえれば嬉しいです。
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15年前から鹿取みゆきさんのファンでしたが、この記事を読んでさらに共感させていただきました。小さな消費者ですが、これからも日本ワインを応援させていただきます。